ポーランド映画、ドラマで戦争を扱った作品や、社会派、ヒューマンドラマのカテゴリーに絞ってこのページで紹介します。
まだ日本語に訳されていない作品が多く、そしてポーランド語をかなり理解できないと、内容がわかりづらいです。ただこの作品を知っていると言うと、よく知っているねと言われます。
ポーランドに長く住もうとしている方なら、ぜひポーランド語学習に挑戦して、これらの映画を観ておきたいですね。
ポーランドの映画、ドラマ(ヒューマンドラマ、戦争もの)Czterej pancerni i pies(チテレイ・パンツェルニ・イ・ピエス)
1966年から1970年まで放送されたテレビドラマシリーズ。第2次大戦時、ナチスに対抗するポーランド軍の若者を描いたドラマです。戦争の悲惨さを強調して表現しているドラマではなく、どこかほのぼのしてしまうところがあります。というのも主人公のうちの1人いや一匹がジャーマンシェパードドッグだからです。
題名の訳は“4人の戦車隊兵士と犬“です。102号の戦車に乗り込んで4人のポーランド人の若者がナチス軍と戦っていきます。
そして犬の名前はシャリク、この犬も大活躍します。放送は21回と長かったので、途中犬役は交代し3匹の犬がシャリク役を演じたとか。
このシリーズも何度も再放送されいて誰でも知っている作品です。私もジャーマンシェパードを飼っているので、観るたびにシャリクに愛着が湧きますね。ポーランド語がわからなくても犬好きの方なら必見の作品!?
このシリーズの第1話になんと日本人役が登場します。主人公のヤネクはシベリアに当初住んでいたのですが、偶然関東軍の生き残りと遭遇し戦いますよ。
このドラマの最後はナチスが降伏して戦争が終わるところで終了します。最終話だったでしょうか、印象に残るシーンがあります。終戦直後なのですが、ドイツ人の若者が主人公のグループの仲間を殺してしまいます。主人公の仲間はその若者を追いかけ捕まえます。まだその子はとても若く、そしてナチスに敬礼して忠誠をつくしています。主人公のグループは殺そうとしますが、主人公のヤネクは”戦争はもう終わったんだ“と言って仲間たちを制止します。
ポーランドに来たはじめの頃、このドラマをよく観てポーランド語を覚えたので、私にとっても懐かしい作品です。
ポーランドの映画、ドラマ(ヒューマンドラマ、戦争もの)Lalka(ラルカ)
1968年の映画で、その後も新しいバージョンが作られているようです。19世紀に書かれた小説をもとに作られた映画で、その小説はポーランドの義務教育の教材として使われるそうです。
Lalka(ラルカ)は人形という意味です。舞台は19世紀後半のポーランド、ロシアなど他の国に占領されている時代です。映画にも出てくる通貨はルーブル、話されているポーランド語も今の時代に、そんな言い方しないという時代劇のような言葉が話されています。
居酒屋で下っ端のウェイターのウォクルスキは大志を抱き、勉強しながら働いていました。そして、勉学が実り、大金持ちの実業家となったウォクルスキ。彼は、上流階級の家の娘、人形のように美しいイザベラに恋をします。が、彼女は労働者階級の出のウォクルスキを見下しています。結局、恋は実らないのですが、映画のテーマは恋の行方ではないと思います。
父が破産して、金で首が回らなくウォクルスキに金の工面の助けをもとめているにもかかわらず、ウォクルスキに上流階級者としての見栄をはるイザベラ。
ビジネスで成功して上流階級との付き合いが増えたウォクルスキですが、貧民街の暮らしと、対照的な上流階級の豪華な暮らしを目の当たりにして矛盾を感じます。映画の最後に、上流階級のつきあいに疲れたウォクルスキは貧民街に赴き酒を飲み干します。
貴族たちの浪費によって国力が衰え、栄華を誇ったポーランド王国も次々と周囲の国に侵略されていきました。ウォクルスキが映画中で言った<この国は国とは呼べない、ここはミニチュアのようなものだ>という台詞が印象的でした。
Lalkaは16ヶ国語に翻訳されていますが、残念ながら日本語版はないそうですね。
ポーランドの映画、ドラマ(ヒューマンドラマ)Znachor(ズナホル)
1982年の映画です。Znachor(ズナホル)とは現代医学を用いず、薬草を調合したりして治療する医者、シャーマンといいましょうか、そんな医師のことを指します。
名誉も地位も富も手に入れた医者、ラファウ。若くて美しい妻も手に入れたのですが、その妻は幼い娘を連れ家を出てしまいます。
その後、酒を浴びるほど飲んで、酔いつぶれながら帰る途中、ラファウは事故にあいます。彼は記憶を失ったまま放浪していたのでした。記憶を失ったままたどり着いた村で、偶然にも妻に瓜二つの美しい女性と出会います。
ラファウはその村のある家にかくまってもらうのですが、その家には医者にはもう治らないと宣告された足を怪我した青年がいました。そこでラファウはかすかな記憶を思い出しながら治らないといわれた足を、何も医療設備が無い状態で治してしまうのです。Znachor(ズナホル)という題名どおりのことをして治療したものの、面白くないのは町の医者です。
治せない怪我を治されてしまったのですから、面目丸つぶれ。ラファウは町の医者に画策され訴えられてしまいます。
しかしその法廷のおかげで彼は記憶を取り戻し、妻に似た女性は生き別れた娘だったのです。
Znachor(ズナホル)ポーランド語 の動画を観る
ポーランドの映画、ドラマ(ヒューマンドラマ)Krotki film o zabijaniu(クルトゥキ・フィルム・オ・ザビヤニュ)
1987年の映画です。ポーランドでは、現在死刑は執行されていません。1988年の死刑執行が最後で、それ以降死刑判決は出ていますが、執行はされていないようです。
その死刑執行についてテーマにした映画です。 DekalogというTVシリーズの5番目のプログラムを映画化したものだそうです。Dekalogはモーゼの十戒という意味で、そのうちの”汝殺すなかれ”をテーマにしています。ポーランドでも死刑に対する賛否が分かれているようです。
主な登場人物は、司法試験に受かった新米の弁護士、ピオトル。行き場の無い若者、ヤツェク。そして日々淡々と過ごすタクシードライバー。映画の中盤まで、それぞれの人生の背景を描いています。そして一気に映画は本題に入っていきます。ヤツェクは前述のタクシードライバーの車に乗り、行き先を告げます。タクシーが交差点で止ると一人の男が道に立っています。
男は首を横に振る演技をするのですが、この先進んではいけないということを暗示していたのでしょう。そして道中、衝動的にヤツェクはタクシードライバーを絞め殺そうとします。
逃げるタクシードライバーをさらに石で撲殺。この事件を担当したのがピオトルです。結局判決は死刑になります。ピオトルは若くて経験が無い自分を、弁護できず死刑判決にさせてしまったことを悔やみます。そのことで上司にも相談しましたが、上司は君の弁護は完璧だったと慰めます。
そして、死刑当日、ヤツェクとピオトルは最後の面会をしていましたが、時間が来たからと言って、看守たちは荒々しくヤツェクを執行場へ連れて行きます。執行の場もリアルに描かれています。ピオトルは最後”決して死刑は2度とさせない”といいます。
Krotki film o zabijaniu(クルトゥキ・フィルム・オ・ザビヤニュ)の動画を観る
ポーランドの映画、ドラマ(戦争もの)Zakazane piosenki(ザカザネ・ピオセンキ)
1946年の映画です。第二次世界大戦中の話で、Zakazane piosenki(ザカザネ・ピオセンキ) ザカザネは“禁止された“を意味し、ピオセンキは”歌”を意味します。
ドイツ軍に占領されたワルシャワでは、ポーランドの歌を 歌うことが禁じられていました。 ポーランド 人たちはドイツ軍の目を盗んで、ポーランドの歌を歌い、 その瞬間を楽しんでいました。映画の中で子供が路面電車の中で、ドイツ人を皮肉った歌を歌います。乗車しているポーランド人は笑ってその歌を楽しみます。
路面電車にドイツ軍兵士が乗っているのですが、ドイツ側に寝返ったポーランド人女性の乗客がドイツ兵に告げ口をします。なのでその少年はドイツ兵に処罰されてしまいます。
その裏切ったポーランド人女性は映画の中でポーランドの反乱軍に処刑されてしまうのですが。
主演女優は、日本で公開された映画、木洩れ日の家でのおばあちゃん役を演じたダヌタ・シャフラルスカです。
Zakazane piosenki(ザカザネ・ピオセンキ)路面電車のシーンの動画を観る
ポーランドの映画、ドラマ(ヒューマンドラマ)No? w wodzie(ヌシュヴヴォジェ)水の中のナイフ
1961年の映画、ロマン・ポランスキー監督のデビュー作品、水の中のナイフ。
日本語訳でもDVDが出ていますし、他のサイトでもレビューがあるので、そちらにまかせて。
個人的に気になったのは、裕福な中年男性役がレオン・ニエムチクだったということです。いつもいろんなポーランドのテレビドラマを観ていると必ずといっていいほど名脇役として登場します。
あの人が水の中のナイフの男性を演じていたんだなあ。残念ながら2006年に亡くなりました。
No? w wodzie(ヌシュヴヴォジェ)水の中のナイフ ポーランド語の動画を観る
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ポーランドの映画、ドラマ(ヒューマンドラマ、戦争もの)Sprawiedliwi(スプラヴィエドリヴィ)
最近のテレビドラマシリーズです。第二次大戦中のドイツの占領下にあったポーランド、その時代が舞台です。究極の選択を迫られるお話です、極限状態だったら自分は正義を貫けるのか、それとも自分の家族のための方向を選択するのか、どちらを選ぶかわかりません。
どんな究極の選択かというと、皆さんもご存知の通り大戦中、ポーランドではナチスがユダヤ人を見つけては強制収容所に送っていました。もしユダヤ人を家にかくまっていたらポーランド人といえども収容所に送られるか処刑されます。
主人公はある年老いた女性バシャですが、彼女が大戦中の記憶を語ります。
彼女には夫ステファンがいました。夫婦はユダヤ人狩りがポーランド全土で吹き荒れる中、ユダヤ人の少年を家にかくまうことを決断します。
そのドラマでは、大戦前は優雅に暮らすユダヤ人、そして大戦中は真逆の虐げられる生活を対照的に映しています。そして虫けらのように殺されていくユダヤ人、それにはむかうポーランド人も殺害されていくシーンが表現されています。これでもかとナチスの悪行を見せつけています。
そしてクライマックスのシーンは主人公の女性の家にナチスがユダヤ人をかくまっているということを嗅ぎつけやって来るところです。ナチスはかくまっているユダヤ人を差し出せと命令します。
主人公の夫は抵抗しますがやむなく殺されます。ナチスはバシャのお腹に銃口を突きつけます。実はそのときそのバシャは子供を宿していたのです。バシャは自分のお腹の子供を守るため、ついにユダヤ人の少年が隠れている場所を指差して教えてしまいます。
これはドラマですが、戦争中はこんな極限状態の選択がたくさんあったと容易に想像できますね。私だったら家族を持った今、家族を犠牲にしてまで、かくまうかどうか思いとどまります。
そのユダヤ人の少年はその後どうなったのでしょうか?続きはドラマを観てみてくださいね。
Sprawiedliwi(スプラヴィエドリヴィ)ポーランド語 の紹介動画を観る